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Wisdom2.0Japan当日に向けて、Keyにもなっている「コミュニティ」「繋がり」「場」について感じていただくべく、運営メンバーでのクロストークを企画しました。
今回のクロストークでは、仲井・石川と共に、「世界平和・死生観編」と題して、日常生活との関わりや想い・エピソードをお話しいたします。
(進行役:溝上 真璃)
<Topic1>世界平和・死生観を意識するようになったきっかけは?
溝上:
COVID-19の世界的流行が起こったこともあり、死が遠い先にある特別なものではなく、生きている限りは傍らにあるものという風に感じた方もいると思います。
お二人が、世界平和・死生観を意識するようになったきっかけはありますか?
石川:
Wisdom2.0に参加するまでは、死ということを意識して何かをすることはなかったんです。
死というものが自分自身にとって大事なものだということに気づいたきっかけが、Wisdom2.0でスピーカー(Frank Ostaseski氏?)の話を聞いて、これはいいなっ!と思って。
私なりの解釈が入っているので、主旨のままではないかもしれませんが、
死を自分自身の生活の一部にするというのは、陰陽思想のように、光があるから陰ができる。死というものを意識するから「生」というものを強烈に生きていけるんじゃないか。もっと言うと、生というものを無駄にしないために、死を意識する。という風に想ったのが、感想です。
彼は運営しているホスピスでの写真を見せながら話してくれたのですが、その話がいちばん印象に残った年でした。
僕のきっかけはWisdom2.0で、死生観がなかったのが、死に関して自分の生活の一部として、頭のどこか片隅で感じるようになっていきました。
仲井:
私は死に対する恐怖をクリアーに感じてきた方で。なぜ怯えていたのか分かりませんが、強烈に家族が死ぬことを恐れていました。
なので、戦争映画を観たときに、「家族に死んでほしくない。」と思って、それを結構引きずりました。
それで、今でいわれるパニック障害といえるかもしれませんが、そのことを考えすぎて、高校生のときに保健室に運ばれたこともあります。思い詰めて息が出来ず、過呼吸になってしまったんです。そのくらい死に対して恐怖がありました。
なんとなく、それを払拭したいと思って人生を歩んでいるところがあって、救ってくれたのが(舞台での)照明の仕事でした。なぜなら、照明の仕事は常に緊張していないといけないんです。ずっと。めちゃくちゃ忙しいんです、ずっと体を動かしているんです。それで初めて、抱えていた死への恐怖に囚われなくなりました。
学生時代は机の前で座っている時間が多く、体を動かしません。血が通わず、呼吸がたぶん浅くなっているはず。動いていると、血流も巡り、酸素も水分も十分に取れて、身体の使い方がまったく違っていたんです。
心から体にダイレクトで影響が行ってしまうことを、何とか防ぐために、本格的なヨガをしていましたし、Wisdom2.0で謳われているようなことを考えていたものの、(当時は)恥ずかしく思い、こそこそと考えていました。
心理的安全性という言葉が使われるように、コミュニティ・人間関係という要素が含まれるのなら、私が昔から考えていたことを話せる場があるのはいいなぁと感じていました。
<Topic2>日常と死生観・世界平和
溝上:
物で溢れ、考えなくとも素通りも出来てしまう現代において、
お二人は日常の中で「死生観・世界平和」というテーマと、どのように関わっていきたいでしょうか。
石川:
死については自分の生活の中の一部だと思っているし、それを皆さんにもお勧めし、重要だと思うのですが、世界平和については普段身近に考えていないこともあり、日常で語るつもりはあまりなく。
ただ、チャディ・メン・タン氏が「世界平和にする」ことではなく、「世界平和のお膳立てをする」ということを著書『Search Inside Yourself』の中で言っていて。お膳立てだという風には言ったりはしないけれど、僕自身も個人としてどういう考え方をしているかというと“自分がしっくりくる自分の生活を送る”ということが重要だと思って。
日々の生活でおかしいとか、自身のやりたいこととずれていると感じたとき、自分が死ぬと仮定して、「自分が明日の朝、寝てから起きてこない可能性が50%あるとしたら、自分がどういう今日一日を送るか」というテーマでジャーナリングをしたりします。
自分自身が今日一日を送ることにおいて、“しっくりくる”かどうか見極めるために期限が決めていて。期限があればやれることは限られ、限られていることに優先順位をつけ、優先順位をつける中でこれとこれをやると、自分がしっくりくる方に寄せられる。というように。
その結果として、いい人でありたい・他者に優しく在りたい・コラボレーションしたいという想いを人間は内包し、そこに寄っていく可能性を人間は秘めている。
現代は群れで生きていかなくても大丈夫なツールが生まれてきているために、そうせず生きられるという感覚が出てきているけれども、死ぬと(設定)したら、動物に感覚が戻ると思うんです。
そのときに、他者に貢献したい・良いことをしたいという想いが出てくるはずなので、それを皆が感じられれば、もしかしたら世界平和になるのでは。
だからこそ、“じぶんがしっくりくる”生活をなるべく多くの人がするようにしていきたいし、今回のテーマを聞いて、僕だったらそういう風に死と世界平和を関連付けるかもと、いま思いました。
仲井:
質問としての世界平和は、社会の教科書に載っている世界平和に近いと思うんです。いま潤さんがおっしゃっている「世界平和」の感じは、仏教的でもあり、アドラー的でもあるし。
その世界平和観というものは、Wisdom2.0あるいは仏教的な要素を理解している人にはすっと分かるかもしれない。
2つの“違う”意味ではあるけれど、ゴールとしては同じところに到達するかもしれない世界平和。それを聞き分けられたのが面白かったです。
一般的な世界平和って、紛争地域や発展途上国とされる地域において。援助しなければ、救わなければならないという概念があり、マスコミでも大々的に取り上げられると思うんですけど。
そのまえに、日本(自国)において、隣にいる人を幸せにできているのか。そこをないがしろにして、いま挙げたような地域への世界平和に目を向けるのではなく、周りの人を自身が持っている力で良い影響を与えたいと思います。
些細なことかもしれないけれど、それは感じていたし、本当に手の届く人、周りの人にいきいきしてほしいし、自分も生き生き(活き活き)たいんです。
いま、生命としては生きているかもしれないけれど、“活”という方が乏しいというのが、現代の苦しみなのでは。自分の機能を使って生きるということをしていけたらいいし、していけるように貢献していきたい。
あとは、便利や不便を選択できているかどうかは、重要だと思っていて、自分に合う不便は残していかないと。不便なことに使う時間がなく、ボタン一つで何でもできてしまう世の中は、いろんな加減を見る自然との対話が奪われてしまったと感じています。
潤さん:
ボタンを押せば何でも出来てしまう世の中というところで、
それは、プログラミングされてしまっているパターンがあって、そのために失われているクリエイティビティがたくさんあると、僕は思っていて。
誰かが用意したものに乗っかることで、考えなくて済むようになってしまって、ある意味で自分をロボットのような扱い方をしてしまっている。
物事や事象において「なんで、そうなるのか。」「どうやったら、上手くできるのか。」ということは考えないで済むし、「こういう場面では、こうしたらいいのでは。」ということも考えない。考えることで発揮されるクリエイティビティが失われているのは、もったいないなぁと思う。
この他、クロストークの動画では、よより詳しく「世界平和・死生観」やWisdom 2.0 Japanへの想いを語っています。
ぜひ、動画もご覧ください。
Youtube動画/世界平和・死生観
前編:https://youtu.be/5L9iRevhOts
後編:https://youtu.be/uCI4YIgrr_g
参加メンバー:
仲井 和子
石川 潤
溝上 真璃(進行役)
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